失敗は「石鹼」の母なり。
磯右ヱ門SAVON
明治6(1873)年、この国で最初にせっけんの製造に成功したのは、横浜の堤 磯右衛門だ。
彼のせっけん製造への道は谷坂、山坂、失敗の連続だった。
ある日、またも失敗した原料を捨てようと溶かせておいたところ、おどろいたことに翌朝それが固まり、良質のせっけんになっていた。ハテ?と首をひねったすえ、思い当たるのはきのうのこと、失敗はもうたくさんと原料を捨てる際、ふりかけたお祓いの塩のイタズラだった。
彼がつくった最初の洗濯せっけんは、1本10銭で西洋洗濯屋に売られた。翌年には化粧せっけんの製造販売に成功。その後害虫駆除の鯨油せっけん、塩水で使える海水せっけん、コレラ予防の石炭酸せっけんなどを売り出しその名を高めた。
失敗は「石鹼」の母なり。
舞台は変わってアメリカ。オハイオ州シンシナティで小さな会社を起こしたW・プロクターとJ・ギャンブルが、試行錯誤のすえ、かねてから念願の白くて香りよい「ホワイトせっけん」を開発した。泡立ちよく売れ行きも上々だった。
ある日、工場の係が攪拌機のスイッチを切り忘れたままランチに出かけ、帰ってきたら、さあタイヘン!攪拌オーバーでせっけん液に余分な空気が混入してしまった。捨てるのはもったいないと、彼はこれを型に流しこみ製品にしてしまった。
意外やお客からは「水に浮くせっけん」と大好評!1879年、発売以来のすぐれたマーケティングとあいまって、いまもP&Gの看板ブランド「アイボリーせっけん」として、グローバルに親しまれている。
失敗は「石鹼」の母なり。
文:蟻田善造
蟻田善造[コピーライター]
1929年~2016年
高島屋宣伝部を経て、日本デザインセンター設立に参加。トヨタ自動車、伊勢丹、東芝などのクリエイティブ・ディレクションとコピーライティングを担当。日本の広告界の草創期をつくる。
1977年、株式会社二人のデスク設立。主なクライアントに宅配便のフットワーク社、フランス菓子店のアンリシャルパンティエ、デリカテッセンのロックフィールド社など。
いずれも、商品開発からプロモーション、店頭ディスプレイまで。コピーライティングだけでなく、ジャンルを越えたトータルデザインのディレクターでもある。
磯右ヱ門SAVON
横浜開港資料館保存の金型を忠実に復刻。「本釜焚き」の素地で、きめ細かい泡立ちとスッキリした洗いあがりが特長。
母の移り香をイメージする懐かしい化粧石鹼です。