消えゆく童謡を、伝え続けるグッズ
「赤い靴」シリーズ
「赤い靴はいてた女の子~」ではじまる唄、ご存知ですか。
野口雨情が作詞し、本居長世が作曲した「赤い靴」は、1922年(大正11年)発表された横浜を代表する童謡だ。歌詞のルーツには諸説あるが、外国船が出て行く横浜港の風景を、叙情豊かに描いている。
1979年には、赤い靴を愛する市民の会(現 赤い靴記念文化事業団)によって山下公園に「赤い靴はいてた女の子の像」がたてられ、赤い靴は横浜の文化資産として大切にされてきた。
しかし最近、その「赤い靴」に変化があらわれている。全国から横浜を訪れる観光客の中に「なんで横浜にはこんなに赤い靴のおみやげが多いの?」という人が増えてきたというのだ。
特に修学旅行生をはじめとする子供たちや、20代の若者の間では「赤い靴」の童謡を知らない人が多いという。知っていて当たり前の世代としては、衝撃の事実。
なぜそうなってしまったのか…?それは教科書から童謡が消えていることが大きな理由と言えそうだ。遠足の前日には多くの子供たちがつり下げた「てるてる坊主」、昔話と一緒に覚えた「桃太郎」などとともに、「赤い靴」も学校では教えてもらえないし唄うチャンスもない。
1994年、まだ平成が始まったばかりの頃のランドマークタワーのグッズとして「赤い靴下」が誕生した。赤い靴を編みだした靴下は赤ちゃんから大人サイズまであるので、成長とともに買い換えてきた人も多い。売場では「これ、子供のころはいてた!」という女性の声もよく聞く。
赤い靴下は、失われつつある横浜の「赤い靴」の記憶を、童謡にかわってグッズとして伝え続けているのかもしれない。
文:田中あづさ
赤い靴下
野口雨情の童謡そのままに、「赤い靴をはいた女の子」になってしまうソックス。
白地に赤い靴を編み出したユーモア・グッズです。
子供用のハイソックスに、大人用のクルータイプ(くるぶし丈)を加えた5サイズを用意しています。
価格:1,100円(税込)